国史一伝(2)

「失礼します」

霞の自室に、一人の女将校が入ってきた。

「霞様、兵の訓練が終わりました」

「見ていた。しかし、兵の動きが鈍くはないか」

「私めもそう思いました。原因はわかりませぬが…」

戦時だというのに。いままで何十という勢力を壊滅してきた華雫軍の動きが鈍い。

地下を通って攻めてきた街須軍を破り、次に控える呂家徒団をも飲み込む勢いだったというのに。霞は焦っていた。

「やはり、正樹の影響では」

「正樹か…童もそう感じていたわ」

正樹は元々華雫一体を取り仕切る豪族だった。

霞の一族が華雫に入ったあとは支配権を巡って争い、幾度無く戦いを続けている。

数年前、黄金橋で正樹軍を打ち破ったあと霞は残兵を自らの軍に組み込んだ。

あの戦いで勝利は決定したといってよい。だが、正樹はまだ生きている。

華雫の最果ての地に篭り、再起を伺っているという。

もちろん正樹の存在は鬱陶しい。この場にいたら、すぐ殺しているだろう。

復讐の名義もある。だが、殺してしまったらどうなる。

正樹を慕っていた兵士が暴動を起こす。華雫軍の6割は元正樹の兵だった。

人一人殺しただけで、数千という兵士が動く。それだけ正樹の影響力は強いのだ。

「ですが既に黄金橋には200の兵がいますし、その先には城塞も築きました。今はまず御月見山に兵を差し向けるのが先決です」

「甘いわ、美恵。正樹への対処が最優先と心得なさい」

美恵は若干19歳の女武官だが、光るものがある。

その父親は霞の片腕となって戦い、そして野に散った。

忠義に厚い男だった、と今でも思っている。軍をまとめて戦う一方、民とともに農業にも精を出したこともある。

とにかく、何でもこなせる男だった。そんな父を持った娘。

出来が悪いはずがない。その父親の死後は霞直属の部下としてよく働いた。だが、若すぎる。

「分かりました。必ずや仇をとります」

「功をあせるまい。出てきたら討つ、それでいいのよ」

美恵とは通じるものがある。同じく家族を同時期に失った者だからだ、と自分なりに解釈していた。

姉は正樹に討たれた。一人は流れ矢にあたり、一人は暗殺され、そして一人は毒を仕込まれ、苦しみながら逝った。

 正樹を恨むではない、これが戦なのだ、と最後の姉は苦しそうに語った。

何もできない自分が悲しくなり、死にたくなった。とにかく正樹は敵だ。

ずっとそう認識してきた。家族を一気に奪った下賤の輩。許せなかった。

しかし、それは不可能だ。それでも今まで耐えてきたのは姉の死がそれだけ大きかったからだ。

その約束は守る。だから美恵を残す。必ず正樹は打って出てくるだろう。少なくとも黄金橋までは出てくる。僧読んでいた。

「童は1200騎を率いて呂家徒団討伐に赴く。そなたは残りの兵をまとめこの国を守りなさい」

「しかし、私のような女になにができると?」

「そなたならできる。念のため、啓介を残しておく」

啓介は姉の時代から仕えてきた古参の武者だった。

戦のときも、常に姉の傍らにいた。姉亡き今は、一人の将軍として兵を率いて戦っている。

「前に立ちなさい、美恵。そなたがこの城の太守となり、この国を守りなさい」

「…」

「そなたにしかできない。あの老いぼれにはもう利用価値すらない」

「そこまでいいきるのですか」

「そなたのような次世代のものをそだてなければね」

そう、次世代の育成。これが重要だった。

「承知いたしました」

「それで、討伐軍は」

「既に出撃の準備が整っております。霞様の一言で動きます」

「馬を持て。急ぎなさい。武に手柄を取られてはたまりませんわ」

「ご武運を祈っております」

馬に飛び乗り、颯爽と駆けていく霞の姿を見送りながら、美恵は微かな溜息をついた。

僅かに、暗い影を落とした。

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