――茶色い髪をした少年の真っ直ぐな背中を見つめていたキクコは、扉が閉まる音に振り向いた。
恍惚したような放心したようなそんな虚ろな目は、何処か遠くを向いている。一体その目が何を向き、一体彼女が何を見ているのか。――きっとそれは自身にすら判らないのだろう。
全てが理解できた、その時。
全てが理解できなくなるのだ。
「……大きくなったねえ」
何処からか出していた三枚の写真に向け、彼女はそう呼びかけた。一枚目の写真に写っているのは、一人の赤子。モンスターボールがデザインされた産着を着て、無邪気に笑っている。
そして二枚目に写っていたのは……その赤子ともう一人、少女だった。
大人っぽい顔立ちのせいで年齢は上手く判別できないが、しかしそれでも大体九歳前後だという事くらいは判る。――写真は、その少女が赤子を抱いているところだった。
……三枚目には、さっきの赤子ともう一人の赤子。対称的ともいえる顔立ちだったが、その中には何か通じるものがあった。
「本当に、大きく……」
もう一度繰り返すと、キクコは手の甲で目頭を拭った。室内の電飾の光がその手の甲に映る。
「もうバッジを八つも……本当に……」
うんうん、とまた一人キクコは頷くと、ぱちんと手を鳴らした。
その途端。
すっ――と、影が現れた。
その影に向け、ゆっくりと言う。
「孫の勇姿を見られる日がくるとはね。しかもこんなに早く。――そういえばあのポケモンは爺さんに貰ったものかね……」
少年が最後に出したポケモン。それは少年のものの中でも一番強そうであった。目つき、風貌、鳴き声――そして何より、少年との信頼が感じられた。
故に、戸惑ってしまい、故に、躊躇してしまい、故に、敗北してしまったのだ。
しかしそれも一つの戦術だろう。――キクコはそうも考えていた。少なくとも、負けたけれど全然悔しくはない。清々しい気分だった。
ふう、とキクコは息を吐き。
「本当に――大きく、なったよね」
それは直接言いたい言葉であった。
もし人生を違えていれば隠蔽する必要も無く「家族」となっていただろうあの少年に。
もし少し歯車が狂っていれば毎日でも触れ合う事になったかもしれないあの少年に。
しかし歯車は違わず、人生は狂わない。――否、もしかしたらこれが違えた結果なのかもしれないし、これが狂った結末だったのかもしれない。
今、少年とキクコは家族ではない。――事実はそれだけで、それだけだ。
「本当に、大きく……」
――がちゃり。そんな扉の開く音に、言葉は中断される。
また少年だった。赤帽子を目深に被っていて、表情を伺うのは難しい。
しかし、その体からは気迫のようなものが感じられた。
良く来たね、とそんな台詞を口にしながら、写真を仕舞おうとし。
「――――――――っ!」
三枚目。――二人の赤子が写っている写真に目を留め、何かに気付く。
写真と少年を見比べ。
「お前……名前は、何と言う!」
問い掛ける。
暫くの沈黙。
そしてその後、少年はゆっくりと。
自らのトレーナーカードを、見せた。
その名前を見て、確信する。
少年が誰であるかを。
本当に――幼馴染でライバルだな、と。
彼女は可笑しそうに笑う。
不思議な目でそれを見つめる少年。
それを見て、また笑いそうになる。
二人があの部屋で出会ったらどんな顔をするだろう。驚くかもしれないし驚かないかもしれない。
しかし少なくとも、出会わない、ということは無いだろう。
二人の内の一人が突破した道を。
もう一人が突破できない道理は無い。
「始めようかい」
頷く少年。
負けると判った勝負だったが。
それはとても愉快だった。
<Fin>