――泣ける場所は、風呂場しかなかった。
恋人には振られ、バトルは不調――自然と流れ出す涙を、カスミは拭おうとはしなかった。
悲しみの混じった涙が、汚れの無い風呂のお湯に溶け込むのを、ゆっくりと待っていた。
「……だって、ちっとも会えないじゃないか」
恋人から最後に聞いた言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。
二人は、遠距離恋愛だった。忙しさのせいで、電話さえ満足にしていられなかった。
――彼は、バトルに興味は無かった。最後まで、自分の腕前を理解してはくれなかった。
止まりかけていた涙が、また溢れてくるのを感じた。
自分で天職だと思ってきたジムリーダー業も、スランプ続きだった。
恋人との仲も、スランプの大きな理由だったのに、彼はそんな事を理解もしてくれなかった。
ポケモン自身が、自分への信頼を失いかけているのではないだろうか。――そんな不安まで抱いてしまう事さえあった。
風呂場の中、カスミはゆっくりと目を閉じた。
「ハナダジムリーダー、カスミ。――おてんばにんぎょ、か……」
彼女は、幼き頃に読んでもらった「人魚姫」という童話を思い出した。
人魚姫は、声を犠牲に陸へ上がる為の足を手に入れる。
――その時、頭の中で何かが繋がった。
そうだ。自分は人魚姫だ。そして、自分にとってのバトルとは「声」だ。
今まで、わざわざ「陸」へ王子様に会いに行くために、大切な声を失いかけていた。
――そこまで考えたカスミは、もう泣いてはいなかった。
わざわざ、陸まで上がって傷つく事は無い。私は、海の底まで潜ってきてくれるような、趣味の合う王子様を待とう――。
温かく広い風呂場の中、カスミはゆっくりと足を伸ばした。
辛い事、嫌な事――そんな事が、少しだけ溢れたお湯とともに流れ出たような気がした。