Blue Sky 第二部

36 :エンタ2008/05/06(Tue) 19:00:19 ID:dHycQM..
第32話 トバリシティ

「ここに来るのも、久々じゃなぁ…」
 どこまでも続く藍色の空の下で、イッセンはしみじみと溜め息をついた。

 トバリシティ。
 数々の神話や石の眠る町にして、昼も夜も決して眠ることのない街。
 シンオウ地方における将来住みたい町ナンバーワンをヨスガシティと争っているとか。
 ダイゴがシンオウに来ている間、滞在していた町でもある。
 仮にミクリならヨスガかナギサに住むだろうし、ヒサヤならクロガネに住むのだろう。そして花屋三姉妹なら確実にソノオに住むはずだ。

 そんなことを考えながら彼がのんびり歩いていると、鮮やかな桃色の髪の女の子がこちらに向かって手を振っているのが見えた。
「おじさぁーん!!」
「おぉ、スモモちゃん」
 伯父、というよりお爺さんみたいな反応を返すイッセン。しつこいくらいだが、彼は45歳である。
「お久しぶりですっ」
「なんじゃ、また転んだのか? でっかい絆創膏なぞ、顔に貼っつけて」
「えへへー」
 無邪気に笑う小柄な少女。やんちゃなのはいいが、顔に大きな傷でも作ればお嫁に行けなくなるのではないか、と危惧してやまない。
「お家のほうは、今大丈夫かの」
「はい。お母さんも今いますよ」
「そうか。では、早々に用事を済まさせてもらうとしようかのぅ」
 のんびりと言った彼の表情は、しかし真剣そのものだった。

 おじさん、との呼び名どおり、桐崎イッセンは六文銭スモモの伯父である。
 つまり、彼女はイッセンの姪にあたる。
 だがイッセンは生来の孤独で親もなく、兄弟もひとりとしていなかった。
 だからスモモはイッセンと血が繋がってはいない。彼の『大切な人』の妹の娘である。
 幼い、本当に幼い頃、とある文献に興味を持ちこの地を訪れ、そして出会った。

 六文銭ヒナタ――すなわちイッセンにとって世界一大切な人と。

「何の用」
 久々に顔を合わせての第一声が、これである。たまったものではない。
 だが、それが仕方ないものだということは、イッセンにもよくわかっていた。
 六文銭ヒカゲ。ヒナタの妹である。
「ちょ、お母さんっ」
 スモモが慌てて宥めにかかるが、彼女の態度は変わらない。
「いいんじゃよ、スモモちゃん」
「…ふん。今さら、何をしに来たというの」
 氷のように冷たく研ぎ澄まされた視線が、イッセンの身体を貫く。
「あなたとの縁は切ったはずよ」
「これを返したくての」
 腰にさげていたものをそっと床に置き、包んであった布をほどく。

 藍に染められた、木刀だった。

「宝刀『陰(ひかげ)』。彼女が、お前さんを愛しておった証拠じゃ。長いことヒナタの墓前に供えてあったのだがの。ここへ返すのが良いと思った」
「それで、ノコノコと現れたわけね」
「お母さんっ…!!」
 イッセンの手とヒカゲの手が、ほぼ同時にスモモを制した。何も言えなくなったスモモは、バツが悪そうに2人の間にちょこんと正座した。
「…どの面下げてここに来れたものかしら? きっと貴方の心には、羞恥も罪悪もカケラとして存在しないのだわ」
「そうかもしれんな。ワシは、いくつもの罪を繰り返してきたが、それをワシ自身が罪とは思えぬのじゃから」
 寂寥に満ちた、老人のように枯れた表情。それを見て、ヒカゲは激昂した。
「そうやって、いつも善人面していれば誰かが救いの手を差し伸べてくれるとでも!? ええ、確かにいたわよ!! そんな慈母のような人が!! でもね、もうこの世には居ないのよ!!」
 顔を真っ赤にして、目には涙を浮かべて、イッセンの着ている道着の襟に掴みかかる。スモモの制止の声など聞こえていない。
 ただ目の前で、まるで許しを請うことすら諦めたかのように動かぬ表情で、黙ってこちらを見据えている男が気に食わなかった。
「貴方のせいよ!! 全て!! もう15年も前になるのね。貴方の言葉を借りれば、運命とは残酷なものだわ!! 平気で、平然と、奪ってゆくんですものね!!」
 イッセンはただ黙っていた。スモモも黙るしかなかった。それほどまでに、ヒカゲの言葉は激しく、心を抉るように鋭かった。
 なおもヒカゲの言葉は続く。
「貴方は姉様を守ると言ったわ。なのに何? 姉様の病に気付けなかったですって!? 自分勝手も程々になさい!! 愛していたなら、たとえ小さな変化も見逃さないはずよ!! ああ、そう、愛していなかったのね!! だって貴方は一度も姉様を『妻』とは呼ばなかった!!」
「愛しとったよ」
 雪崩れかかるような言葉は、一瞬堰き止めたかのようにぴたりと止んだ。そして、再び決壊した感情が彼女に拳を振り上げさせた。
「誰よりも、この世の誰よりも愛しとった」
 すんでのところで拳が止まったのは、ヒカゲの、姉に対する想いからだろうか。
「…籍を入れなかったのは本当じゃ。子をつくる気も無かった。六文銭の家を絶やしてしまうのではと問うたが、ヒナタはただ笑って、貴方がいればそれで良いのですと、そう言ってくれた」
「…そんなもの」
「若さゆえの気の迷いやもと思うのも仕方ないかもしれん。じゃが、彼女は旅立つ間際までワシを愛しているとそう言ってくれた。この世に残す生きた証を、末期の遺言を、ワシのために使ってくれた。その想いは本物じゃったと、ワシは今でも信じてやまぬ」
「そんなものッ」
 言葉が続くことは無かった。泣き崩れる母親、その背を優しく撫でる娘。
 そんな光景を後にし、イッセンは無言で六文銭家を出た。

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